私のこれまでの歩み
※以下の文章は、2019年4月に作成したものを、そのまま掲載しています。
人生の半分を「法を学び、使いながら」
私が弁護士となって20年になりました(2019年4月当時)。2年間の司法修習、大学での学習をあわせると、少し大袈裟ですが、人生の半分以上を「法を学び、使いながら」生きてきたことになります。
よく「弁護士って、(いろいろな事件を扱ったりするので)大変だね、ストレス溜まるでしょ」と言われることがあります。確かに、ストレスを感じることも多いのですが、不思議と、この18年間、弁護士をやめたいと思ったことは一度もありませんでした。逆に、時々、ふとしたときに、「やっぱり自分はこの仕事が好きなんだな」と思うことがあります。こうなると、「法律バカ」なのかもしれません・・・
私の業務の中核は、企業法務とIT法務です。国際的な知見を得るため、アメリカのロースクールにも留学して、これらの分野について学んできました。こう書くと少し敷居が高く感じるかもしれませんが、10数年来弁護士1〜2名の事務所を経営してきましたので、お客さまは中堅企業、中小企業が中心です。フットワーク軽く、“お客さま密着”、“現場主義”を大切にしています。
20年というのは、まだ「ベテラン」と言われるほどの経験ではありませんが、20年間走り続けてきてそれなりの経験を積み上げてきたと自負しています。また、現在46歳(2019年4月当時)、もう「若い」と言われる年齢ではありませんが、まだまだ体力・気力とも充実しています。これまでの経験を活かし、さらなる研鑽を積んで、皆さまのお役に立てるよう精一杯がんばります。
私が企業法務を志したきっかけ
私は、弁護士となる前は、漠然と「どちらかというと企業法務を中心になるのだろうけど、でも、いろいろな分野を経験したい」という程度にしか自分の専門を決めていませんでした。弁護士となって、様々な企業経営者や企業で働く方々と接し、いっしょに仕事をさせていただくうちに、私は明確に企業のための法務を自分の仕事の中核にしようと考えるようになりました。
様々な方々から影響を受けているのですが、私が弁護士となって間もないころ、特に私に影響を与えた案件を2つご紹介します(守秘義務に反しない範囲になるので、あまり具体的に書けないことをご容赦ください。)。
一つ目は、弁護士になって1年くらいの頃に遭遇した倒産案件です。上場企業でしたが、創業家が強く、経営陣はいわゆるサラリーマン社長の方でした。当時はその業界自体が過剰な生産能力を抱えて低迷しており、経営状態が悪化する一方で、次第に相談が頻繁になってきました。私たちの目からはもう破産は避けられないという状況で、破産の申立書なども準備を進めていました。しかし、社長を中心とする経営陣の方々が一念発起して、民事再生を実現したのです。会社は清算するスキームでしたが、事業譲渡を行い、従業員の給与や退職金を確保し、可能な限り雇用も維持しました。経営陣の精力的な働きにより、関係者への影響が最小限に抑えられたのです。率直に言って、破産ではなく民事再生となっても、経営陣の方々の個人的なメリットは特にありません。それにも関わらず、本当にぎりぎりのところで、不可能と思われた民事再生を実現した経営陣の皆さんの強さは、まだ駆け出しのころの私にはある意味衝撃的ですらあり、強く心に残っています。
もう一つは、弁護士1〜2年目ころに出会った、インターネット系のベンチャー企業です。インフラ系の新しいサービスを日本で実現した会社で、もしこの会社が登場しなければ、日本のインターネット環境は、何年も遅れをとっていたはずです。今では信じられないことですが、当時は企業や大学などを除けば、まだ電話回線でインターネットに接続したりしていて、常時接続といえばISDNの64kbps(多くの方はピンとこないでしょうが・・・)という時代でしたが、それを一変させたのです。最後は、残念ながら大きな企業に吸収されて終わりましたが、間違いなく、ブロードバンドによる常時接続環境が日本に普及し、日本のインターネット業界が発展する礎を作った会社の一つです。行政や大企業と、まさに「闘いながら」新しいサービスを切り開く経営陣、社員の皆さんの意欲と熱気から、私も大きな感銘を受けました。こうした人たちと間近に接することができた経験は、私の財産になっています。
以上の2つの案件、一つは起業や新規事業という新たなものが生み出されるとき、もう一つはそれとは正反対の倒産という極限状態、両極端の場面での経験を通じて、企業の持つ社会的な意義の大きさや経営陣たち、企業人たちの「すごさ」を感じ、考えさせられました。他にもたくさんの素晴らしい方々と出会ってきており、そうした経験の一つ一つが、私が企業法務を中核とするという方向を選ぶことにつながりました。米国に留学したのも、ビジネス界では当然に英語が使われているのに、大手法律事務所を除くと、弁護士の中には英語案件を扱える人が少ないのはおかしい、企業法務を扱う以上は、英語で法務を扱うのに必要な水準の英語力と海外法務の知識を有するべきだと考えたことが動機の一つとなっています。
企業は、働く人をはじめ多くの人の人生に影響を及ぼす存在、社会に大きな影響を及ぼし、時には社会を変える存在でもあり、ある意味人間くさいものでもあります。弁護士の存在意義(使命)は「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」(弁護士法1条)にあります。企業の活動をサポートして、企業の健全な発展を通じて社会に貢献することが、私にとっての「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」と考えています。
40年来のIT好きからIT法務に
私がIT法務に力を入れることになったきっかけは、「好きだから」という、全く個人的な動機からです。
実は、私のIT(コンピュータ)歴は、弁護士歴のさらに倍、40年に及びます。はじめてコンピュータというものの存在を知ったのは、小学校5年生のときでした。当時は、CPUは8ビット、フロッピーディスクすら十分に普及しておらず、カセットテープから、“ぴ〜がが〜”という音を聞きながら10分くらいかけてプログラムを読み込むことも少なくありませんでした。
大学生時代にインターネットを使い始めました。一般的には、Windows95の発売・普及がインターネットの普及に大きく貢献しましたが、私はWindows95発売の数年前から、マックを使い、モデムを電話回線に“ぴ〜がが〜”とつないでインターネットに接続していたのです。
こんな私が、弁護士となってIT関連の法務に関心を持つのは、自然なことでした。
しかも、私が弁護士になった1999年は、後に“ネットバブル”とも言われてしまいますが、渋谷が「ビットバレー」と呼ばれるなど、ネットブームの真っ盛りでした。先ほどお話ししたインフラ系ベンチャー企業の他にも、いろいろなネット関連の企業に接することができました(当時、私が所属していた法律事務所は、様々なIT系の企業の案件を取り扱っていました)。また、1999年は、コンピュータ2000年問題で大騒ぎになった年でもあり、弁護士1年目だった私も2000年問題に関する法的責任等について検討したりもしました。
私は、コンピュータ好きの上、元々は数学や物理などの理系科目が得意でした。そんな私が、大学進学の際に、理系ではなく法学部を選び、弁護士となったのですが、結局、また別の形でコンピュータやITの世界に関わることになったというのは、不思議な感じがします。前の所属法律事務所がIT系の法務に比較的強い(余談ですが、昔、事務所にNeXTがあったというのです!!)ということを、実は私は知らずにその法律事務所に入ったのですが、大げさに言うと、これも何か運命的なものを感じています。
しかも、30年前のおもちゃのようなコンピュータの時代と異なり、今では、ITはもはや「社会のインフラ」であり、いわゆるIT系企業ではなくても、ビジネスを展開する上でITと無縁ではいられなくなりました。コンピュータ、ITの発展により、図らずも、私が中心として扱っている「企業法務」と「IT法務」とは密接に結びついています。
弁護士となった後、様々なIT関連の法務にたずさわると共に、アメリカ留学でもこの分野を学び、また法科大学院で講義を行ったり、書籍(「ビジネスマンと法律実務家のためのIT法入門」)を書いたりといった活動もしてきました。この分野は、半分、私のライフワークのようなものでもあるので、実務に力を入れるのはもちろんのこと、様々な研究などもしながら、楽しんでいきたいと思っています。